高館城跡(芳賀郡益子町の史跡)史跡

高館城跡(たかだてじょうし)は栃木県芳賀郡益子町にあります。ここは史跡です。「史跡」などとなっています。

高館山頂にある。別名益子城,西明寺城ともいわれた。益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができる。また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもつ。(*1)

近くの住所には、大字益子(301 m)城内坂(721 m) などがあります。(2015-02-10 09:59:31時点)。
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1 施設

この施設/場所の基本情報です。市区町村都道府県のリンクから その地域のカテゴリーと種類の情報を見ることができます。

1 名称 高館城跡
2 よみ たかだてじょうし
3 住所 芳賀郡益子町益子
4 郵便番号 321-4217
5 市区町村 芳賀郡益子町
6 市区町村(よみ) ハガグンマシコマチ
7 都道府県 栃木県
8 都道府県(よみ) トチギケン
9 場所の種別 史跡
10 緯度・経度 36.4583521, 140.1060931
11 緯度経度の精度 APPROXIMATE
12 更新日付 2015-02-10 09:59:31

2 地図

住所を元にした地図

緯度・経度を元にした地図

3 オープンデータの一覧

No. 種類 カラムデータ
1 ジャンル 史跡 史跡
2 基本情報 説明 高館山頂にある。別名益子城,西明寺城ともいわれた。益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができる。また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもつ。
3 ジャンル 大ジャンル 見る
4 中ジャンル 文化史跡
5 管理情報 情報提供元 栃木県芳賀郡益子町
6 市区町村コード 9,342
7 参照番号 09342KANKO2087829
8 参照枝番 2,087,829
9 最終修正日時 2015-02-10 09:59:31
10 基本情報 名称(よみ) たかだてじょうし
11 名称 高館城跡
12 写真 写真
13 写真の名前 高館城跡
14 入場情報 内容 市区町村指定史跡
15 特徴 文化財
16 指定年 1,973
 

4 町域の一覧

No. 市区町村 町域 距離
1 芳賀郡益子町 大字益子 300 m
2 城内坂 721 m
3 大字生田目 2.35 Km
合計:

5 近くの施設一覧

No. 名称 住所 種類
1 フォレスト益子 (1.7 Km) 芳賀郡益子町益子4231 その他(ホテル)
合計:

6 クレジット

1 名称 公共クラウドシステム | API公開サイト(サイト停止中)
2 オープンデータのページURL https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/k-cloud-api/search/download/
3 ファイル名 kanko_all.csv
4 更新日付 2019-07-10
5 クレジット このページは、次の著作物を改変して利用しています。公共クラウド(総務省)、観光情報、CCライセンス 表示 2.1 日本(http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/
6 ライセンス 公共クラウド利用規約(https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/k-cloud-api/code/

注釈

  • (*1) オープンデータの情報を引用しています。

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